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8月27日:義

ヨブは自分の善い行いのゆえ自分は義人だと思っていました。しかし、彼が帰って来るだろうと期待していたのとは異なる扱いを受けた時、彼は悲しくなりました。神様はヨブを見た時、ヨブが行ったこと以上の、ヨブの神様を畏れる心を見ていました。   ヨブ記30:24-28 24倒れた者が手を伸ばし、 災難に会った者が助けを呼び求めるように、 私は、この責苦から解放してくださいと願いました。 25私は、困っている人のために涙を流した。 貧しい人を見て、心から同情した。 26だから当然、祝福がくるものと思っていた。 ところが、やってきたのは災いだった。 光を望んだのに、暗闇がきた。 27私の心は騒ぎ、休みなくいらだつ。 28-29悲しみのあまり太陽さえも見えない。 私は立ち上がり、人々に助けを呼び求めるが、 何を言っても無駄だ。 私は山犬の兄弟とみなされ、 だちょうの仲間と思われているのだから。 誰も神様に受け入れられるほどの十分な善い行いをすることはできません。イェシュアにある信仰を通してのみ私たちは神様に受け入れられます。   ユダヤ人たちが謙遜になり、神様からの義を受け入れられるように祈りましょう。      

3月4日: 義

多くのユダヤ人はホロコーストのことで神様を責めます。神様を愛し信頼する人でさえ、なぜそのような悪が許され長く存在しているのか理解できません。しかし神様が悪を起こすのでもなければ、人間の悪を行なう選択を防ぐこともなさいません。神様が約束することは、その苦しみの中で、彼らと共に居られるということです。

3月3日: 義

多くのユダヤ人(そして異邦人)は神様が公平ではないと信じるので拒絶します。しかし彼らは、彼ら個人の基準によって神様を判断しているのです。神の赦しは、人の「良い心」や「良い行為」の試みに基づいたわけではありません。神様の基準は、神ご自身の清さと正しさに基づき、贖いを必要としているのです。

3月1日: 義

神様はイスラエルを見張る者に明瞭に単純なメッセージをイスラエルの人々に伝えるよう与えました。難しいのはメッセージではなく宣言することです。人々に彼ら自身の罪と向き合わせることは、話しかける方も、聴く方にも簡単ではないのです。  イスラエルは彼らの罪と神様の裁きについて聞きたくありませんでした。現在もイスラエルは、多くの人々のように、変化を嫌い、今のままでいることに幸せなのです。 ほとんどの人々は、良いことを行い、良いものになりたいと思いますが、自分自身の基準に従います。しかし神様の基準ははるかに高いのです。神様は、一生にわたる良い行ないをひとつの罪のゆえに否定されるのです。  エゼキエル書 33:12 「たとえ正しい行いをしていた人でも、罪を犯すなら、その人は救われない。 どんな悪者も、その人が悔い改めて罪から身を引くなら、滅ぼされることはない。」 裁きが来る前にイスラエルがこの警告を聞き入れ悔いあらためるように祈りましょう。